青森浪漫 時を超えた悠久の旅 奥津軽歴史探訪

中世・十三

謎に包まれていた青森県の中世。

それが遺構や遺物の相次ぐ発見によって生き生きと現代に甦ってきました。

およそ600年前に十三湖ほとりに広がっていた港湾都市十三湊。

訪ね歩けば、そのスケールの大きさや中世の景観が色濃く残る姿にきっと驚かされることでしょう。

十三湊遺跡全景(南側より撮影、写真提供/五所川原市教育委員会)

十三湖(じゅうさんこ)一帯は、13世紀から15世紀前半にかけて豪族・安藤氏が支配し、大規模に整備された港湾施設や居城、宗教施設などを伴う大都市として栄えていた場所である。かつては大津波によって一瞬にして壊滅したという伝説が信じられていたが、平成3年に始まる発掘調査によってさまざまな遺構や遺物が見つかり、豊かな暮らしぶりや文化の高さが徐々に明らかになってきた。

中世北方世界の支配者安藤氏

安藤氏は鎌倉幕府執権の北条義時によって蝦夷沙汰代官(えぞさただいかん)に任命された、エミシ出身の在地豪族である。前九年の役で戦った北方の勇者安倍貞任(あべさだとう)の末裔を名乗り、室町時代には「日之本将軍(ひのもとしょうぐん)」の称号を与えられて、津軽海峡を挟んだ北方世界を支配した。

最盛期を迎えるのは、14世紀前半に起こった一族内部の跡目相続、蝦夷沙汰代官職を巡る争い(「津軽の大乱」)に勝利した安藤季久(あんどうすえひさ)(宗季(むねすえ))が津軽西浜にある十三湊(とさみなと)に拠点を移してからと考えられている。

計画的に建設された港湾都市十三湊遺跡

十三湊遺跡の規模は南北約1.5キロメートル、東西500メートルの範囲で、現在の十三集落と後背地の畑全体に及ぶ。十三(じゅうさん)は、今は「ジュウサン」と読むが、江戸時代後期までは「とさ」と読んでいた。「とさ」の語源はアイヌ語の「ト・サム(湖沼のほとり)」であるという説が有力だが、定かではない。

十三湊遺跡ではかつて船舶が行き交っていた「前潟(まえかた)」沿いに船着場などの港湾施設が見つかっている。また、遺跡のほぼ中央、旧十三小学校の校庭沿いには東西方向に伸びる土塁と堀跡が現在も残されている。近年の研究では最盛期に都市領域の南限を区画する役割を果たしていたものと考えられている。なお、土塁北側にある旧十三小学校付近では領主、家臣クラスの屋敷跡も発見されている。

一方、土塁南側では、「古中道(ふるなかみち)」の小字名をもつ道路沿い(県道バイパス)に街区(町屋)の跡、十三湊南端の十三湖岸沿いに中世寺院跡(伝檀林寺(だんりんじ)跡)が広がっていた。これら土塁南側で確認された遺構は、十三湊廃絶直前の時期であることも判明した。

遺構の保存状態も良く、中世港湾の景観を良く残していることから、平成17年7月、十三湊遺跡は国史跡に指定された。

十三湊遺跡十三湊遺跡

中世十三湊の世界

本州最北の十三湊は、南方からもたらされる陶磁器や米などとともに、北方の蝦夷ヶ島(えぞがしま)(北海道南部)からの海産物をも扱うターミナルとして栄えていた。室町時代までに成立した海商法規「廻船式目(かいせんしきもく)」には当時の全国の主要な湊が「三津七湊(さんしんしちそう)」として記載されているが、十三湊も博多などと並んでその一つに数えられている。こうした交易活動が、安藤氏の豊かな経済基盤となった。

十三湊の船の出入り(水戸口(みとぐち))は現在の水戸口から南へ4キロメートルの場所(明神沼(みょうじんぬま)南端)で行われ、付近には船の安全を祈願するための「浜の明神(はまのみょうじん)」(現湊神社(みなとじんじゃ))が建設されていた。湊神社は、今も「出船入船(でふねいりふね)の明神」として漁業関係者に信仰されている。

浜の明神から見た明神沼浜の明神から見た明神沼
浜の明神跡(湊神社) 浜の明神跡
浜の明神跡(湊神社) 浜の明神跡
湊神社(浜の明神跡) 中世の水戸口跡
湊神社(浜の明神跡) 中世の水戸口跡

安藤氏の居城福島城跡

十三湖北岸の丘陵には、二重の構造を持つ福島城跡(ふくしまじょうあと)がある。内郭は一辺が200メートル四方の方形、外郭は一辺が約1キロメートルの三角形であり、広大な面積を誇っている。

これまで福島城は、いつ、どのような目的で作られた施設か分からず謎に包まれていたが、平成17年から21年にかけて青森県による発掘調査で内郭南東部から中世の武家屋敷が見つかり、安藤氏の居城であることが明らかになった。内郭では、門跡が復元され、土塁や堀跡が残る。一方、外郭では土塁や堀跡、門跡を巡る遊歩道が整備されている。

福島城跡全景福島城跡全景(写真提供/五所川原市教育委員会)
福島城跡外郭の堀跡 福島城内郭の門跡(復元)
福島城跡外郭の堀跡 福島城内郭の門跡(復元)

宗教施設山王坊遺跡

十三湖北の山王坊(さんのうぼう)川が流れる沢筋、日吉(ひえ)神社境内地には山王坊遺跡がある。ここは安藤氏が庇護したとされる神仏習合の宗教施設が発見されている。

伝承によれば、中世の十三湖周辺には「十三千坊(とさせんぼう)」と呼ばれる多数の神社仏閣があり、山王坊遺跡には「阿吽寺(あうんじ)」があったと伝えられている。そのほか十三湖北岸には禅林寺(ぜんりんじ)跡(露草(つゆくさ)遺跡)、龍興寺(りゅうこうじ)跡(現春日内(はるひない)観音堂)も中世の宗教施設であったと考えられている。また山王坊一帯からは五輪塔や板碑など、宗教関連の石像物も出土している。これらは蓮華庵(れんげあん)や市浦歴史民俗資料館で保管されている。

十三湖一帯は今も大小さまざまの神社や宗教遺跡が数多くあり、中世世界を思わせる。

日吉神社山王鳥居日吉神社の山王鳥居。最上部に笠木のある二重鳥居は近隣になく珍しい 龍興寺跡龍興寺跡(春日内観音堂)
蓮華庵の板碑 山王坊遺跡の磐座跡
蓮華庵の板碑 山王坊遺跡の磐座(いわくら)跡
日吉神社の地蔵 板碑
日吉神社境内に奉納された地蔵 蓮華庵にある山王坊一帯から出土した板碑
(写真提供/五所川原市教育委員会)

十三湖や津軽平野を一望 唐川城跡

春日内観音堂の祠の横の参道を上っていくと唐川城(からかわじょう)跡展望台に至る。ここからは十三湖や日本海、津軽平野を見渡すことができ、天気のよい日には岩木山(いわきさん)を望むこともできる。

唐川城跡の遺構は展望台北側の崖の上にある。唐川城はこれまで南部(なんぶ)氏に追われた安藤氏が最後に立てこもった詰城だと伝えられていたが、発掘調査によって、平安時代後期(10世紀後半〜11世紀)に建設された高地性環濠集落跡であることが判明した。ただし平坦部の一部は安藤氏の時代にも再利用されており、小規模な掘立柱建物が伴う砦のような施設があったと考えられている。

唐川城遠景唐川城遠景(写真提供/五所川原市教育委員会)
唐川城発掘調査 唐川城跡
2001年度の唐川城発掘調査の様子
(写真提供/五所川原市教育委員会)
唐川城跡(展望台)

中世十三湊の衰退

十三湊の繁栄は、15世紀半ば、急速に台頭してきた南部氏との戦いに安藤氏が敗北したことによって終わりを告げた。

南部氏に攻められた安藤氏は一時柴崎城(しばさきじょう)(中泊町)に逃れた後、蝦夷ヶ島へと落ち伸びていった。その後、何度も津軽奪回を試みるが叶わず、安藤氏はやがて、秋田檜山(ひやま)方面へと拠点を移していった。

なぜか安藤氏が去った後の十三湊を南部氏が顧みることはなかった。十三湖砂州に再び人が住み始め現在の集落の基礎ができるのはそれから一世紀後のことであるが、その間十三湊は砂で埋まり、幻の都市になっていったのである。

柴崎城跡柴崎城跡(写真提供/中泊町水産観光課)

歴史と一緒に楽しみたい!便利情報

【十三湖しじみラーメン】

十三湖は天然「大和しじみ」の一大産地。世界遺産白神山地を源流とする岩木川と日本海の海水が交じりあう汽水湖で育ったしじみは、粒が大きく味が濃厚となる絶好の生育環境にあります。
この新鮮なしじみを使用したご当地しじみラーメンは、深みがありながらあっさりとした塩味ベースで、肝臓を癒し貧血予防に効果があります。 十三湖周辺には、しじみラーメンを食べられるお店がたくさんありますので、ぜひ味わってみてください。

【しじみ握りずし】

十三湖産のしじみを寒天で固めシャリにのせた握りずしなど。五所川原市金木町の「奴寿し」で販売。握り、軍艦各2巻と巻きもの1本のセットで1,300円。
(TEL)0173-52-2039
(住所)五所川原市金木町朝日山468-1
(津軽鉄道金木駅から徒歩10分)
土産

【十三湖しじみ貝ストラップ】

その昔、十三の湊町が大津波により一夜にして壊滅し、その悲惨さを空を舞うカラスが哀れ悲しんで流した涙が十三湖のしじみ貝となったと伝えられている。そんな十三湖のしじみ貝の貝殻で作ったストラップ。五所川原市「立佞武多の館」と「道の駅十三湖高原」でそれぞれ販売。

【立佞武多の館】
「開運しじみ貝運ストラップ」
(左)550円と(右)880円
(TEL)0173-38-3232
(JR五所川原駅から徒歩5分)
【道の駅十三湖高原】
「しじみストラップ」
(左)420円と(右)1,050円
(TEL)0173-62-3556
体験

【しじみ採り体験】

毎年4月下旬から10月上旬にかけて、中の島ブリッジパークのしじみ拾い場でしじみ採り体験が楽しめる。1袋300円。
(お問い合せ)中の島活性化センター
(TEL)0173-62-2775
遊ぶ

し〜うらんど海遊館

十三の砂山まつり

「奥津軽歴史探訪」のお問い合せ

青森県西北地域県民局地域連携部地域支援室 TEL/0173-34-2175

※歴史観光ガイドブック「奥津軽歴史探訪」は青森県西北地域県民局のホームページからダウンロードできます。

謎を秘めた縄文の里を歩く

写真:伝安藤盛李武者木像伝安藤盛李武者木像
(所蔵/蓮華庵 写真提供/五所川原市教育委員会)

写真:山王坊周辺出土の蔵骨器(写真提供/五所川原市教育委員会)山王坊周辺出土の蔵骨器
(写真提供/五所川原市教育委員会)

十三湊コラム
深浦町にある
安藤氏関連の史跡
関の古碑群

深浦町には南北朝時代の板碑(石製の卒塔婆)が集められた「関の古碑群」がある。碑の数は42基。この中には「安倍是阿」「安倍李□」の文字が刻まれたものもあり、安藤氏関連の供養塔といわれている。
【所在地】深浦町関字栃沢

さまざまな伝説が
語られる靄山

連峰をなさず、美しい紡錘型で単独で存在する靄山(もややま)は、古来より人々の信仰を集め、さまざまな伝説が語られてきた。岩木山と互いに高さを競いあったという説や、安寿と厨子王がそれぞれ逃げ込んだという説、岩木山と姉妹だという説があり、毎年旧暦8月1日にはともに「お山参詣」が行われている。

十三湊ふれあいGUIDE
十三湊
サポーターズガイド

五所川原市には地元有志によって結成されたボランティアガイドの団体があり、十三湊遺跡をはじめ十三湖周辺の史跡の案内を行っている。見どころを効率よく回れて、発掘の最新情報なども学べるのでおすすめ。

  • 【案内期間】4月〜10月
  • 【案内時間】9時〜16時
  • 【料金】ガイド料無料、資料代500円、入館料等実費
  • 【問合せ】五所川原市観光協会
  • 【TEL】0173-38-1515

中の島に向かって歩道橋を歩けば、右手に十三湊遺跡や岩木山など、左手に唐川城跡や中山山脈などを望むことができます。橋の上から広大な景色とともに、中世の歴史ロマンを感じてみませんか。 (小山内文明さん)

十三湊案内人
関連施設情報
歴史遺産情報
お問い合せ
  • ●観光
  • 五所川原市観光協会
  • 【TEL】0173-38-1515
  • ●歴史
  • 五所川原市教育委員会
    (十三湊発掘調査室)
  • 【TEL】0173-35-2111
    (内線4030)