青森浪漫 時を超えた悠久の旅 奥津軽歴史探訪

近世・北前船

近世西海岸の港町。

北前船が行き交い華やかで活気に満ちた場所だった。

船がもたらした文化を知り日本海の海風を浴びながら歩く旅は

趣深いものとなることでしょう。

「津軽の京祭り」とも呼ばれる白八幡宮大祭

江戸時代後期から明治にかけて、日本海西廻り航路で行き来した北前船(きたまえぶね)。行きは上方・大坂からさまざまな日常生活品を積み、帰りは蝦夷(えぞ)地(北海道)で買い付けたニシン・昆布・シメ粕(かす)などを積んで、途中の湊で商売をしながら航海した。船頭が自分の才覚で商品を売買する買積(かいづみ)船で、いわば「動く総合商社」である。商人らの交易により、酒造りや麹(こうじ)造りなどの技術も広まった。海の路は、物だけでなく技や祭りなどさまざまな文化も運んだのである。

藩米の積み出し湊 鯵ヶ沢

鯵ヶ沢湊(あじがさわみなと)は江戸時代、弘前藩(ひろさきはん)の藩米を大坂に積み出す御用港として栄えた。文化年間(1804〜18)以前に描かれた『鯵ヶ沢町絵図』(光信公の館蔵)を見ると、かつて町奉行所が置かれていた高台の下が船着場だったことがわかる。宝暦年間(1751〜64)には、12軒の廻船問屋(かいせんどんや)が建ち並んでいたというから湊の賑わいはどれほどのものであったろう。数度にわたる埋め立て工事で海岸線の景観は変わったものの、絵図と現在の町がほとんど変わっていないことにも驚く。鯵ヶ沢は、200年前の絵図を片手に北前船ゆかりの街歩きが楽しめる、まるごと博物館のような街だ。

鰺ヶ沢町絵図 鯵ヶ沢町絵図(光信公の館蔵・部分拡大)
町の中心に御仮屋(奉行所)があり、その前の海が船着場となっている。
鰺ヶ沢町奉行所・御仮屋跡 天童山公園
鰺ヶ沢町奉行所・御仮屋跡 天童山公園

白八幡宮と京風まつり

鯵ヶ沢港を一望する高台に白八幡宮(しらはちまんぐう)がある。御影石(みかげいし)の玉垣(たまがき)は諸国の廻船問屋などが奉納したもので、塩飽(しあく)(瀬戸内海の諸島)・大坂・加賀・越前などの寄進者の名前に鯵ヶ沢湊の交易の広さが偲ばれる。社殿には、船乗りたちが奉納した船絵馬が掲げられている。「江戸時代以来の和船、明治の和洋折衷船(合(あい)の子船)、さらに洋船へと変遷する様子を通じて当時の鯵ヶ沢湊の海運を知ることができます」と、白八幡宮の工藤等宮司は語る。四年に一度行われる「白八幡宮大祭」は、北前船によって伝わった京風の祭り。古式ゆかしい神輿渡御(みこしとぎょ)の行列が町内を巡幸し、最終日には海上渡御も行われる。

白八幡宮 白八幡宮
白八幡宮社殿 灯台記念碑
船絵馬が並ぶ白八幡宮社殿 船舶の安全を図るため設置された
「常灯(灯台)」の記念碑(白八幡宮境内)

北前船が運んだ俳諧文化

弁天崎(べんてんざき)の道を曲がると寺院街が続く。明治20年に本堂を再建した願行寺(がんぎょうじ)には、北前船にまつわる不思議なエピソードがある。明治16年、越前沖で沈没した金比羅丸(こんぴらまる)に積んでいた材木のうち、二本の欅(けやき)が鯵ヶ沢沖合に流れ着いた。星形の五環紋(ごかんもん)から、東本願寺再建のために運搬中の材木と判明。不思議な旅の果てに、二本のうち一本は本山に運ばれて御影堂(ごえいどう)の用材となり、もう一本は願行寺で使われることとなり柱や梁として本堂を支えている。

ところで、町内の寺院を巡っていると、辞世の句が刻まれた墓石が多いことに気づく。海に開けた西浜では、日本海交易と共に俳諧(はいかい)がさかんになった。廻船問屋の池田晋安(いけだふあん)は、享保7年(1722)に句集『そとの浜』を出版。松尾芭蕉につながる正風俳諧を打ち立てようとした。来生寺(らいしょうじ)には、文化10年(1813)の『萬家人名録』にも名を連ねた俳人・小野化石(かせき)の句碑(化石塚(かせきづか))がある。北前船は西浜に文化の香りも運んだのである。

願行寺 来生寺
願行寺 来生寺

清らかな水が湧き出る港町

山に抱かれた鯵ヶ沢町は、湧き水も豊富である。「尾崎酒造(おざきしゅぞう)」は、万延元年の創業以来、白神山地(しらかみさんち)の伏流水で酒を仕込む。蔵の裏手に迫る山肌からは清らかな湧き水が流れ、蔵人たちは「山の水」と呼んで大切にしてきた。十三代目尾崎行一社長のご先祖も、福井から北前船でやってきた一人。西浜唯一の酒蔵として、伝統の味を守っている。

風待ち湊 深浦

深浦町の行合崎(ゆきあいざき)は、日本海に細長く突き出た岬。北前船が行き交うことから、この名が付けられた。深浦湊は行合崎と入前崎(にゅうまえざき)に囲まれ、北前船の「風待ち湊」として役割を担ってきた。巾着型の湊は荒天の避難所として好都合で、対馬海流にうまく乗れば蝦夷地も遠くはなかった。当時、円覚寺裏の丘「日和見山(ひよりみやま)」に上って海を見渡し、出航の日和を決めたという。沖合の「港の一本杭(いっぽんぐい)」は、北前船が網を掛け、碇泊(ていはく)場所を移動させた名残り。中沢橋(なかざわばし)のたもとを山手に折れると、北前船に飲み水として積み込まれた「神明宮(しんめいぐう)トヨの水」があり、今も人々が水を汲みに来る。

船絵馬円覚寺に奉納されている船絵馬
北国船と呼ばれる北前船以前の型式が描かれている(写真提供・円覚寺)
行合崎 日和見山
かつて北前船が往来した行合崎 日和見山
深浦町奉行所・御仮屋跡 深浦町中心部に沸く「神明宮トヨの水」
深浦町奉行所・御仮屋跡 深浦町中心部に沸く「神明宮トヨの水」

祈りのシンボル 円覚寺

807年に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が創建したとされる円覚寺(えんがくじ)は、江戸時代、弘前藩主らの庇護と共に、航海安全を守護する澗口観音(まぐちかんのん)として全国の海運業者の信仰を集めた。「嵐になると帆柱を切り倒して荷物を海に投じ、それでもどうしようもなくなると船乗りたちは自分の髷(まげ)を切り落としザンバラ髪になって神仏の加護を一心に祈ったのだそうです」と語るのは、副住職の海浦誠観さん。同寺には、無事に生還した船乗りたちが奉納した「髷額(まげがく)」や、船絵馬などが展示されている。国内唯一の北国船の絵馬、北前船の豪商・高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)が奉納したギヤマン飾玉、福井の笏谷石(しゃくだにいし)で造られた宝篋印塔(ほうきょういんとう)など、人々の祈りと深い信仰があふれている。

円覚寺 円覚寺 髷頭 髷頭

日本海沿いは表日本だった

円覚寺には、天保11年(1840)の俳諧額など、この地の俳諧文化の高揚を物語る奉納物も多い。明和4年(1767)に、大高千〇(せんえん)と若狭屋(わかさや)の竹越里圭(りけい)らが、宝泉寺(ほうせんじ)に芭蕉塚「千鳥塚(ちどりづか)」を建立。里圭は翌年京都に上り、『千鳥塚』を出版。各地の文化人との交流を描いた紀行文『高砂子(たかすなご)』が円覚寺に残されている。竹越家には菅江真澄(すがえますみ)も逗留し、『外ヶ浜奇勝(そとがはまきしょう)』に記した。「江戸時代の深浦には、上方の情報を的確にとらえ表現できる一流の人たちがいた。北前線によって文化的な土壌が醸成され、豊かな交流があった日本海沿いは、まさに表日本だったんですね」と同寺の海浦由羽子さんは語っている。

街の歴史ミュージアム

円覚寺の隣には、総合観光案内所「風待ち舘」がある。七百石積弁才船(べざいせん)を3分の1の縮尺で複製した模型や、北前船で運ばれた古伊万里など、北前船に関するさまざまな展示を行っている。その他、太宰治が宿泊した旧秋田屋旅館を利用した「ふかうら文学館」、町の歴史がわかる「深浦町歴史民俗資料館・美術館」などもある。

歴史と一緒に楽しみたい!便利情報(鰺ヶ沢町)

土産

【鯨餅】

北前船によって伝えられた。自家製粉したうるち米に、餅米の粉と小豆、砂糖を混ぜて蒸し上げる逸品。330円。
(お問い合せ)本舗村上屋
(TEL)0173-72-3021
(住所)鯵ヶ沢町大字本町72

【浪花煎餅】

江戸時代、大坂の商人が製造を始め鯵ヶ沢町の名産品に。上白糖をすり蜜にする製法を引き継ぎ、「銘菓の店山ざき」が昭和3年から製造販売。157円。
(TEL)0173-72-2002
(住所)鯵ヶ沢町大字本町59

【町内の老舗「尾崎酒造」】

万延元年創業。白神山地の伏流水と県産米を使って醸造しており、「安東水軍」「神の座」などのファンも多い。
(TEL)0173-72-2029
(住所)鰺ヶ沢町大字漁師町30

【町内の老舗「大澤醸造店」】

明治21年創業。濃い口でコクのある醤油は、お刺身や煮魚との相性抜群!
(TEL)0173-72-2007
(住所)鯵ヶ沢町大字本町59

歴史と一緒に楽しみたい!便利情報(深浦町)

土産

【北前船伝承天然醸造麹味噌「白神岳」】

北前船によって伝えられ、自家製石臼、わらかけ製法で代々引き継がれてきた無添加の麹味噌。450g525円、750g840円。
(お問い合せ)小浜屋醸造
(TEL)0173-74-2527
(住所)深浦町大字深浦字浜町172-2

【元祖 潤口観音もち】

深浦町の円覚寺の門前で、昭和初期に販売されていた商品を復刻。オリジナル、黒ごま、味噌の3種類。深浦町の「風待ち舘」や「ウェスパ椿山」で販売。各130円。
(お問い合せ)深浦町観光協会
(TEL)0173-74-3320

【門前こみせ】

円覚寺向かいにある青森の伝統建築「こみせ」を模した売店。そば処「かまど屋」では北前そばなどが味わえる。北前そば550円。
(住所)深浦町大字深浦字浜町28-1

「奥津軽歴史探訪」のお問い合せ

青森県西北地域県民局地域連携部地域支援室 TEL/0173-34-2175

※歴史観光ガイドブック「奥津軽歴史探訪」は青森県西北地域県民局のホームページからダウンロードできます。

謎を秘めた縄文の里を歩く

写真:風待ち舘に飾られた「海路図」の一部風待ち舘に飾られた
「海路図」の一部

写真:北前船で運ばれた商品の宣伝に使われた「引札」北前船で運ばれた商品の
宣伝に使われた「引札」
(風待ち舘所蔵)

写真:深浦町の中心部に湧く「神明宮トヨの水」深浦町の中心部に湧く
「神明宮トヨの水」

北前船コラム
北前船により
伝えられた菓子
「くじらもち」

江戸時代の菓子専門書『古今名物御前菓子秘伝抄』に京菓子として紹介さている鯨餅は、北前船で伝わった食文化のひとつ。鎖国時代、唯一の外国貿易港だった長崎で、表面が黒く裏が白い、鯨に似た餅菓子が作られており、それが各地に伝わったともいわれる。かつて町には鯨餅を扱う4軒の店があったというが、現在は「本舗村上屋」が伝統の味を受け継いでいる。

船乗りたちの命を救った
円覚寺の竜灯杉

円覚寺の境内に、樹齢1200年と推定される杉の大木がある。
江戸時代、深浦沖で暴風雨に遭った船乗りが髷を切り一心に神仏に願ったところ、この杉の梢から一条の光が放たれ、船は光に導かれて無事に港に辿り着くことができたという。そうした伝説から竜神が宿る杉だと崇められ、竜灯杉(りゅうとうすぎ)の名がついた。

北前船ふれあいGUIDE
港町「あじがさわ」
歴史散策

海の駅→港町鯵ヶ沢歴史コーナー(中央公民館)→町奉行所跡→白八幡宮→鯨餅店→漁港・市場→海の駅(赤い靴銅像)を約1時間で散策する。また、寺院街、天童山を散策後、買い物を含めた1時間30分のコースもある。ガイド料金は1人500円(ガイド料+記念品の相撲館の絵はがき)。3日前までに要予約

  • 【問合せ】鯵ヶ沢町観光協会
  • 【TEL】0173-72-5004
深浦町観光ガイド
風まち湊案内人

深浦駅→深浦町歴史民俗資料館・美術館→ふかうら文学館→風待ち舘→円覚寺→深浦駅を散策する3時間コースと、4時間30分コースがある。ガイド料金は3時間コース大人2,300円、小中学生1,610円。4時間30分コース大人2,800円、小中学生2,110円。※各施設の入館料・拝観料含む。前日までに要予約。

  • 【問合せ】深浦町観光協会
  • 【TEL】0173-74-3320

潮の香りを感じながら、港と共に歩んだ町を私たちと散策しませんか。深浦の歴史、ゆかりの文学をじっくりと。お一人からでもご案内いたします。 (兼平祥子さん)

風まち湊案内人
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