旅人だったぼくは、眼前に展開する現実の世界を生身で味わいながら、同時に遠い過去へと「想い」を馳せる醍醐味を味わえたのだ。
現実の世界と、妄想の世界。生身の感覚と、意識の感覚。見えるものと、見えないもの。肉体と精神。そして現在と過去……。そんな二重構造の旅をすることで、旅先の時空を二倍楽しめたのである。
例えば、津軽半島北部の十三湖(じゅうさんこ)を擁する五所川原市市浦(しうら)地区。この辺り旅するならば、鎌倉から室町時代前期にかけて栄えた港湾周辺の遺跡=「十三湊(とさみなと)遺跡」を想いながら歩きたい。津軽の豪族・安藤氏が栄華を極めていたその中世の港湾都市からは、領主館と町屋を土塁で隔てていた痕跡や、宗教施設、中軸街路などが見つかっているという。そんな情報だけでも十分に妄想が楽しめそうである。
少し南下して、つがる市に入ると、今度は一気に時代を遡って縄文の風が吹く。有名な亀ヶ岡(かめがおか)遺跡で出土した遮光器土偶 ー これほどぼくの妄想をかき立てるものはない。実はいま、ぼくは小説「津軽百年食堂」「青森ドロップキッカーズ」に続く、青森シリーズ第三弾となる小説のプロット作成に取りかかっている。そして、その物語の舞台を縄文時代に設定しているのだ。人々がほとんど争わなかったと言われる縄文の風景を妄想しながら、ほっこり平和な気分で現在を旅するのも悪くないだろう。
さらに南下すると、江戸時代に津軽藩の御用港として栄えた鯵ヶ沢や深浦といった地域に入る。この辺りは言わずと知れた北前(きたまえ)船の寄港地である。当時の廻船問屋(かいせんどんや)がどれほどの財を成し、湊がどんなに賑わっていたかは、現在の資料館や博物館を訪れればよくわかるはずだ。
もしもいま、ぼくが再びこの地を旅するならば、終着点を深浦の行合崎(ゆきあいざき)に設定するだろう。なにしろ行合崎は、ぼくのなかで「日本一美しい岬」なのだ。
そんな行合崎の先端で、海風に吹かれながら、紺碧の日本海を見下ろす。そして、静かに目を閉じるのだ。そうすればきっと「歴史の風」がすうっと吹きはじめ、やがてぼくのまぶたの裏側には、海原を悠々と行き交う北前船が見えてくるに違いないのである。
森沢 明夫/もりさわ あきお
1969年千葉県生まれ。早稲田大学人間科学部卒業。出版社勤務を経て、作家に。『津軽百年食堂』(2009年小学館)など多数。
※2011年発行の歴史観光ガイドブック「奥津軽歴史探訪」より転載。